1930年前後の時代に世界を襲った「大恐慌」の影響は、欧米各国のモーターサイクルメーカーも無縁ではありませんでした。この世界的な経済不況が原因で、1930年代には多くのモーターサイクルメーカーが倒産することになっています。一方、1930年のマン島TTでは英国のラッジが巻き起こした旋風が大きな話題となりました。最高峰セニアクラス(500cc)ではウァル・ハンドレー、グラハム・ウォーカーの順に1-2フィニッシュ。ジュニアクラス(350cc)ではH.G.タイレル-スミス、アーニー・ノット、そしてウォーカーの順に1-2-3位と表彰台を独占と、ライバルを尻目に圧倒的な強さを見せつけたのです。出典:http://www.iomtt.com/こちらは1930年TTの無声動画です。なお、日本人として初めてTTを走ったレジェンドライダー、多田健蔵の姿も映っております。出走クラスは350ccクラスで、マシンは名機ベロセットKTTです。https://www.youtube.com/embed/LMhDqPqXPYM出典:British Pathé高度な4バルブ技術の確立1922年の500ccクラスで、サンビームが勝利したのが最後のサイドバルブ車によるTT制覇でした。その後のTTは「オーバーヘッドバルブ」エンジン採用車でなければ勝てない時代となり、各メーカーは航空機エンジンなどで実績のあるOHVや、OHC(オーバーヘッドカムシャフト)の高性能エンジン開発に励みました。今日の高性能モーターサイクル用エンジンを知る人にとっては、「なんとまぁ原始的な話」と思われるかもしれませんが、起伏に富んだマウンテンコースを約425km走りきるための信頼性を確立しつつ、TTに勝つ「速さ」を確保することは、当時は非常に難しいことだったのです。第二次大戦前のTT用マシンの多くが単気筒を採用していたのは、機関部の軽さを重視したことと、部品点数を少なくすることで信頼性を高めることがその理由です。小さい機能部品が1つ壊れただけで、エンジンは故障して動きを止めてしまいます。1920年代初頭まで古典的なサイドバルブ車が活躍したのは、構成部品がOHVやOHCよりも少ないことが好まれたためです。本格的にマルチシリンダー車がTTで活躍するのは、第二次大戦後の時代に入ってからでした。出典:http://1.bp.blogspot.com/-H6D01HLvWhc/UB134w0JUMI/1930年代のTTで大活躍したラッジは、当時の技術水準からすれば非常に「ハイメカニズム」で、なおかつ耐久性に富んだレーシングマシンでした。動弁方式はある意味平凡なOHVでしたが、ラッジの見るべき点はそのシリンダーヘッドにあります。1気筒あたり吸気1本、排気1本というレイアウトは、1970年代半ばまで2輪用量産4ストロークエンジンでは常識的な構成でしたが、ラッジはすでに吸気2本、排気2本という4バルブのレイアウトを採用していたのです。出典:http://www.classicbikes.pwp.blueyonder.co.uk/images/ホンダより半世紀以上進んでいた?じつはすでに1924年(!)に、ラッジは市販車に4バルブを採用していましたが、同社の天才エンジニア、ジョージ・ハックは1930年のTTレーサーに新たなレイアウトの新型4バルブシリンダーヘッドを与えていました。それは「ラジアル」という呼び名のとおり、吸気・排気のバルブをそれぞれ放射状=Radialに配置しており、理想的な半球型燃焼室に大径バルブを組み込むことを可能にしていました(図は1931年型250ccのワークス単気筒車)。出典:http://www.stratford-rudge.co.uk/ホンダのオフロードバイクが好きな方はピンときたと思いますが、1983年以降エンデューロモデルのXRシリーズに採用されたRFVCと似たレイアウトの燃焼室を、ラッジ製TTレーサーは半世紀以上前に実用化していたわけです。出典:http://www.honda.co.jp/factbook/motor/しかし高性能を誇ったラッジも、1930年代の経済退潮という難敵には打ち勝つことはできませんでした。1930年代後半には他社に買収されてラッジ社の生産は継続されましたが、結果的に1940年代を迎える直前にブランド消滅の憂き目に遭っています。たとえ優れた高性能モーターサイクルを作っていても、それが必ずしも商業的な成功に結びつくわけではないことを、ラッジは体現してしまったメーカーと言えるでしょう。出典:http://2.bp.blogspot.com/-b8CEo-eZjOE/UB147jRSuzI/AAAAAAAAU7c/