昨夜パートナー会社との忘年会というか会食で、好きで選んだはずのモノやヒトに、時間置いてみるとなんか違うと感じてしまったときの、苛立ちというか困惑というかやるせなさといった気分について、しばらく話の花が咲いた。
このときの対象はクルマのことだったのだが、冒頭に書いたように、いろいろなモノ、場合によっては恋の相手や、当然仕事のパートナー(笑)についても言えることだろう。
昨夜の話では、しばらく乗ってはみたものの、疎遠になり、エンジンをかけることさえ稀になった挙句に、結局手放して別のクルマを買い直した、という実に"男らしいw"選択に落ち着いたというオチだったが、実際には逡巡の期間はたいてい長く、「なんか違った感」にさいなまれながら、無駄に時間だけが過ぎていくことが多いだろう。
なぜかというと、これまで使った時間やお金といった費用、すなわちサンクコストを惜しんでしまったり、新しいモノや相手を探し選ぶためのスイッチングコストを考えてしまうからだ。
それでも、なんか違った感に心削られていく時間は、自分にとっても相手にとっても不幸だ。
人生は長くないから、「やはりコレだよ!感」を与えてくれる対象を選び直すことが大事だろう。同時にそれは相手にも、別のよい相手を探すチャンスをわたすことなのだ。仮にそれがクルマのような無機質な機械であっても、やはり愛してくれる相手にめぐり合わなければこの世に存在する意義を見出せないというものである。