みてください。Holiday CustomのこのXS650。オリジナル車両の、時代を感じさせる、まあ野暮ったいスタイル(それが当時はかっこよかったわけです)が、こんなにすっきりクールに大変身。holidaycustoms.blogspot.jpみてください、これがオリジナル車両。1970年に販売スタートされただけに、やはり古臭さは否めません。しかし、その素性の良さを見抜くHoliday Customの目は確か。元はこんな感じ。若干おじさん臭い・・・です。www.bikebros.co.jpholidaycustoms.blogspot.jpholidaycustoms.blogspot.jp結局のところ、最近のカスタムブームは、絶版車の中でも不人気車の素性の良さを見抜いて、それをうまく形にしていく、というのが一つの流れなのかもしれません。例えばZ2あたりはいまでは昔のままのスタイルをどれだけ維持するか、というのが主流で、カリカリにカスタムしてしまうのはもったいないという感覚です。逆に言えば、クラシックカー的に残してもらえないバイク達に、改めてカスタム車両としてスポットライトを当てていく、そういう仕事がいまのカスタムビルダーと言えるかもです。このXS650も、とっても喜んでいると思います。.holidaycustoms.blogspot.jp
今回は一風変わったカスタム製作者を紹介。インディアナポリスのウィルキンソン・ブラザースはなんと、グラフィックデザインを生業にしており、他のカスタムビルダーとは一味もふた味も違っています。HONDA CL360www.bikeexif.comスクランブラータイプにカスタムされたCL360も、実にシンプルですが、とってもクールです。オートバイカスタムそのものを定期的に行っている形跡はなく、プリントのグラフィックデザインがやはり中心の、デザイン会社のようなので、あまりの多才ぶりに本当に頭が下がります。//www.youtube.com/embed/eF_I3TlthMY?rel=0Custom Honda CL360 Scrambler by Wilkinson Brothersyoutu.beウィルキンソン・ブラザースのショップwilkinsonbrothers.comこういう、異なるデザイン、設計、テクノロジーのクロスオーバーは、実はいろいろな業界で起きている気がします。ロレンス編集部だって、ある意味そんなもんなんですがwWilkinson Brothers Graphic Design & Custom Illustration Studio | IndianapolisWilkinson Brothers is a graphic design and custom illustration studio that produces top notch visual communicationwilkinsonbrothers.com
やっぱりツナギが似合います午後になって、鈴鹿サウンドofエンジンは ついにGP500マシンのデモランです。 ケニーさん、エディさん、ケビンさん、何しててもカッコいいけど やっぱりツナギ姿はしびれます それでマシン走らせたら、もっとカッコええなぁ! 3人のツナギ姿! お宝画像になりそうだなぁ^^ 撮影/ナカムラヒロフミwww.autoby.jp
ユピテル、バイク専用ドラレコを発売...無線LAN内蔵でスマホと連携response.jp
www.photo-ac.com「酒は百薬の長」適量の酒はどんな良薬よりも効果がある??お酒好きの方は、一度は口にしたことのある言葉ですよね。お酒を飲むことに前向きになることができそうな、何ともありがたいことわざです。(適度な量ならば、という条件付きですが)さて、奄美大島でも、もちろん古くから飲まれている、ある焼酎があるのです!長寿の島 奄美大島で飲まれているのなら、なんだか健康になれそうな気がしてきませんか。今回はその 「〇〇焼酎」 についてご紹介しようと思います。「〇〇焼酎」の正体は...?〇〇の答えを思い付いたでしょうか?芋、米、麦、泡盛など、焼酎にも様々な種類があるのですが、今回の答えはこの中のどれでもありません。奄美大島で愛飲されている焼酎とは、「黒糖」焼酎なのです。奄美の黒糖焼酎ja.wikipedia.org焼酎好きの方ならご存じでしょうが、黒糖焼酎の特徴は、原料に 黒糖 と 米麹 を使用していることです。同じサトウキビを原料にしているお酒に「ラム酒」がありますが、「ラム酒」はつんと突き刺すアルコールの力強さが特徴なのに比べて、「黒糖焼酎」はふんわりと優しい甘さで、深くなめらかで飲みやすいお酒です。そして、沖縄県の「泡盛」と技術のベースは似ているのですが、「泡盛」は原料はお米のみです。また、「泡盛」は黒麹を主流としているのに対し、「黒糖焼酎」の主流は白麹なのです。奄美黒糖焼酎(あまみこくとうしょうちゅう)は、鹿児島県の奄美群島で造られている、米麹とサトウキビからとれた純黒砂糖を原料に醸造し、単式蒸留した本格焼酎。奄美大島酒造協同組合の地域団体商標である。ja.wikipedia.orgもちろんご存じの方もいらしたことと思いますが、奄美の黒糖焼酎はまだまだ知名度は低いです。最近でこそ、関東や関西でも少しずつ見られるようになってきましたが、焼酎全体の消費のわずか約2%しか占めていないので、初めて耳にした方も多いことでしょう。というのも、この黒糖焼酎、実は奄美群島でしか製造が許可されていないのです。黒糖焼酎の歴史「なぜ奄美群島でしか作ることができないのか?」そこには深い歴史があるのです。黒糖焼酎の原料 サトウキビ畑woman.mynavi.jp奄美の焼酎の原型は、 江戸時代にまで遡ると言われています。16世紀前半、奄美群島が当時の薩摩藩の支配下にあった頃、藩から焼酎の貢納を命じられたといいます。そこで、島民は沖縄県(当時の琉球王朝)から伝えられた蒸留の技術を用いて、焼酎の製造を行ったそうです。ただこの頃はまだ黒糖焼酎ではありません。なぜなら、黒糖焼酎の原料である黒糖は薩摩藩の専売品であり、庶民が許可無く利用することはできなかったからです。このころでは、焼酎の原料としては椎の実や粟、ソテツなどが使われていたと考えられています。明治時代になると、明治新政府により酒造の免許制が始まり、製造に届け出と免許料が義務付けられました。しかし奄美では、販売目的の製造ではなかったため、焼酎製造は各家庭の自家製酒として作り続けられることになりました。(味噌や醤油もすべて自家製だったのだとか)その後、1945年(昭和20年)に 日本が太平洋戦争に敗れると、奄美群島はアメリカ軍政下に置かれ、日本本土とは切り離され流通も制限されました。それにより米は不足し、また、江戸時代から本土に出荷していた黒糖が、大量に余ってしまうという事態が引き起こされました。島民の生活は貧困化し、それを見兼ねたアメリカ軍が課税を条件に、自家用の焼酎製造の販売を特例で認めました。そこで島民は本土に出荷できずに余ってしまった黒糖を使って焼酎を作り出すことに乗り出します。ついに、奄美黒糖焼酎が登場するのです。1953年(昭和28年)、奄美群島は晴れて日本の領土に復帰することが出来ました。しかし当時の日本の酒税法では、焼酎の原料として砂糖は認められておらず、黒糖を使った蒸留酒である黒糖焼酎は、ラム酒と同じスピリッツに分類されてしまいます。その結果、焼酎よりも三割高い酒税を課せられました。この課税は販売に支障が出るほど、大きな負担となり、再び困った島民たちは国税庁に陳情します。長い話し合いを経て、本土復帰6周年の1959年12月25日に、奄美群島でのみ黒糖を使った焼酎製造が認められたのです。今は、奄美の特産品として多くの人に親しまれている黒糖焼酎ですが、今に至るまでに、400年という長い歴史と、多くの島民の苦労と努力が隠されていたのです。黒糖焼酎の美味しい飲み方ベスト4黒糖焼酎の歴史を簡単に説明しましたが、ここまでくると、もうなんでもいいから飲ませてくれ!という方もいらっしゃいそうです(笑)ワインと比べてもポリフェノールが1.5倍と、血液サラサラ効果が高そうな焼酎。蒸留酒であることから、実は糖質がほとんどなく、ヘルシーなお酒、焼酎。しかも、蒸留によって、「香味成分」としてアルコールと共に抽出されることで生まれる風味が、なんともいえない「あまさ」を感じさせてくれるのは、サトウキビの黒糖を使う奄美の黒糖焼酎ならではの楽しみです。本記事を作成するうえで参考にさせていただいた、鹿児島県酒造組合奄美支部・奄美大島酒造協同組合のサイトによると、美味しい飲み方は以下の4つです。みなさんは、どんな飲み方がお好みですか??★ストレートロック黒糖の甘い香りと米こうじ由来の風味が楽しめます。★お湯割り奄美黒糖焼酎の良さを一層引き立てる飲み方です。香りやコクが楽しめます。お湯で割ることでアルコール度数を調整でき、強いお酒が苦手な方でも美味しく飲めます。★水割り味や香りもすっきり爽やか。黒糖焼酎を楽しむにはやや濃いめがお勧めです。お気に入りのグラスに氷を浮かべ奄美黒糖焼酎を注ぎ、お好みでレモン果汁などを加えても美味しいです。★カクテル奄美黒糖焼酎をベースにすることで、いろんなバリエーションが楽しめます。例えば奄美の果物を使ったプラム割り・ パッション割り・タンカン割り等がありますが、奄美黒糖焼酎をベースにして自分流の飲み方を探してみるのも面白いの では?www.kokuchu.com
次はレジェンドを^^鈴鹿サウンドofエンジンには、思い出の名車だけでなく レジェンドライダーも来てくれています。 ケニー・ロバーツ、エディ・ローソン、ケビン・シュワンツ。 きょう午前はケビンだけが走行したんだけれど やっぱりツナギ着るとオーラが違いますねぇ。 ちょっとだけお話できるくらいの知り合いなんだけど 神々しくて近寄れない、そんなライダースナップです^^ ラッキーストライクカラーのRGV-Γをライドしたケビンさん。胸ロゴがラッキーでないのは GP走ってる当時にも時々ありました。オトナの事情ってやつです 撮影/ナカムラヒロフミwww.autoby.jp
以前にも紹介した6/5/4MOTORS。彼らが今度は珍しいバイクのカスタムに乗り出しています。それはなんと、ロイヤルエンフィールド!youtu.be彼らは1901年に初めてオートバイを作り始めた英国バイクブランドですが、現在はインド企業の傘下です。日本にも代理店があって、購入することが可能です。ミドルクラス=350cc - 550ccの、単気筒モデル にフォーカスしており、比較的安めの価格帯です。Royal Enfieldは、8000万ドル(約96億円)もの投資を行い、生産能力の向上を狙っています。彼らのメインモデルはBullet(ブレット。弾丸という意味)というモデルですが、このレトロなイメージのバイクを中心に、このミドルクラスでの世界ブランドとなることを狙っています。そのうえで、まずはハーレーの売上を抜くという意気込みのようです。スウェーデンからとびきりのカスタムビルダー。6/5/4MOTORSの空冷Zカスタムがイカしてる。 - LAWRENCE(ロレンス) - モーターサイクルやスポーツカー、ラグジュアリーなハイファッションをクロスオーバーさせ、新しいライフスタイルを提案します。6/5/4 MOTORSはストックホルムのカスタムビルダー。日本とヨーロッパのバイクをベースに、カフェ、ストリートトラッカー、スクランブラーのカスタムを得意としています。このZはスクランブラーですね。潔いまでに余計な部品を取り外して、ワイルドなボディに仕上げているのに、タンクは女性的なほどに可憐な形とカラー。なんとも北欧的というか、渋さよりは洗練された可愛らしさが勝ってますね。www.654motors.comwww.654motors.comwww.654motors.comHomecustombyggda caferacer och scrambler motorcyklar i stockholmwww.654motors.comlrnc.cc//www.youtube.com/embed/oLF9FaMnSLw?rel=0Custom Royal Enfield by 6/5/4 Motorsyoutu.be以前にはこんなロイヤルエンフィールドカスタムも紹介しているので、ご覧ください!カリカット出身のカスタムビルダー ファヒム・ラーマンのロイヤル・エンフィールドがクール。 - LAWRENCE(ロレンス) - モーターサイクルやスポーツカー、ラグジュアリーなハイファッションをクロスオーバーさせ、新しいライフスタイルを提案します。Fahim Rehmanwww.facebook.comCustom Roayal Enfield Thunderbird 350cc by Fahim Rehmanyoutu.beボバースタイル、といっていいでしょうか。350ccのロイヤル・エンフィールド サンダーバード。インドのカスタムビルダーによって、恐ろしくクールに生まれかわっています。lrnc.cc
足早に、俯き加減で帰宅を急ぐ女性。つらさに耐え、単調な毎日に耐え、慣れてしまえ。そうすれば何も感じない、何も考えなくて済む、と自分を言い聞かせます。しかし、それでいいのでしょうか??そんなことでいいのでしょうか?慣れれば考えなくて済むyoutu.be慣れてしまえばいいんだ、それでいいんだ、と自分に繰り返す彼女の前に現れたのは、もう一人の自分。社会常識にとらわれず、自由な精神をもった新しい自分が現れます。クールなライダーウェアに身を包んだ吹石一恵さんwww.arax.co.jp本当にそれでいいの??ともう一人の自分が囁くhttps://youtu.be/7wYF79iSxv8じゃーん!youtu.be実は、これ、頭痛薬のノーシンアイのコマーシャルなんですね。つらさに慣れようと思わず、いままでと同じ薬に慣れちゃおうと思わずw、新しいノーシンアイ頭痛薬を試しつつ、ちょっとバイクなんかに乗ってみたりして、というCMですwやっぱり自由に生きる象徴は、女子にとっても製薬会社にとってもオートバイなんですね!ところで、このバイク、いったいどこのバイクだろう???//www.youtube.com/embed/7wYF79iSxv8?rel=0吹石一恵 CM ノーシンアイ頭痛薬 「新しさと出会え」篇youtu.be
このイベントで大事なものはスゴいすね、さっきのエントリをアップしたら すぐに友人から電話がありまして 「お前のレポートは要らんから、写真はよ!」と... 普段なら「うっせ、バーロー」と電話を切るのですが 今回は、その気持ちがいやというほどわかるので 写真たくさん載せてみますね。 車両説明なし、保存くださいw 激しいコスプレがチームスタッフに評価され、マシン側まで立ち入りを許可され、 このあとマシンにまたがっていい世、といわれたケビンファンのみなさん^^ 撮影/ナカムラwww.autoby.jp
快晴の鈴鹿よりこの土日で行われている 「鈴鹿 サウンドofエンジン」に来ております。 予報では、100%雨降り、っていうんで 来ようかどうしようか迷ったんですが なんだ鈴鹿、快晴です!来てよかった! ちょいちょいレポートあげます! なんと楽しい、うれしい、ワクワクなイベントよ! <完全にいちファンですな ナカムラ>www.autoby.jp
クリント・イーストウッドにハズレなし。俳優としても、監督としても、痺れる作品に携わる能力はピカイチだ。そのクリント・イーストウッドが音楽を題材に、映画を作った。しかも、ミュージカルを基にした映画だ。本作『ジャージー・ボーイズ』はミュージカルではないが、「シェリー」や「君の瞳に恋してる」など、誰でも知っている名曲が短くてもワンコーラス以上、実際にスクリーンの中で俳優たちが歌い、パフォーマンスを行っている。本作の役者のほとんどは、ミュージカル版の『ジャージー・ボーイズ』を演じた舞台役者たちだ。僕はミュージカルは苦手だが、本作は音楽を題材にして、音楽を多用しているが決してミュージカルではない。しかし、登場人物たちがときとしてスクリーン越しから我々に言葉を発して、背景やストーリーを補足する。その手法もまた好きではないが、イーストウッド監督はその”禁じ手”をスムースに挿入し、映画として破綻させずにうまく収束させている。エンターテイメントが”非合法な力”と不可分だった時代本作の主人公たち、ジャージー・ボーイズことフォー・シーズンズは、美しいコーラスを主体としたボーカルグループだ。フォー・シーズンズ(The Four Seasons)は、アメリカ合衆国の、1960年代中期に世界規模で成功したロックおよびポップス・バンド。ヴォーカル・グループの殿堂はビートルズよりも以前に最も人気のあったロック・バンドだとしている。1960年、フランキー・ヴァリがリード・ヴォーカル、元ロイヤル・ティーンズのボブ・ゴーディオがキーボード奏者およびテナー・ヴォーカル、トミー・デヴィートがリード・ギターおよびバリトン・ヴォーカル、ニック・マッシがベース・ギターおよびバス・ヴォーカルを担当していたフォー・ラヴァーズがフォー・シーズンズと名を変えた。1970年より「フランキー・ヴァリ・アンド・フォー・シーズンズ」としても知られている。ja.wikipedia.org本作は、ニュー・ジャージー州の田舎町で育った4人組の若者が、フォー・シーズンズとして成功し、そして互いの不信や金銭トラブルなどによって苦悩していく姿を描いている。メインボーカルのフランキー・ヴァリ以外、メンバーを変えた現在の姿(2012年)ja.wikipedia.org彼らを支援するのはマフィア。マフィアといえば冷酷な犯罪組織というイメージが強い。本作もマフィアもそれは変わりないが、優れた才能を持つ若者たちへのメンター、いわゆるタニマチとして、長期間にわたって支援を続ける。グループを深刻なトラブルに追い込むのもマフィアだが、それを救うのもマフィアだ。日本でも歌舞伎や相撲などのタニマチになる暴力組織の話は昔からよくあるが、芸能やボクシングなど、興行の世界にはそうした例はつきものだ。本作でも例に出されるが、フランク・シナトラがマフィアの準構成員であった話は有名である。中途半端なら名前さえ変えることを厭うな!本作では、大きな成功を掴んだのもつかのま、メンバーの一人であるトニーが作った巨額の借金の返済のため、馬車馬のように働かざるを得ず、その結果家庭も崩壊し、栄光の光と影を共に味わうことになった、そういう悲哀を淡々と描く。//www.youtube.com/embed/uOD2VDVENEk?rel=0ブルーレイ&DVD『ジャージー・ボーイズ 』トレーラー 2月4日リリースyoutu.be天から授かった才能のことを、英語ではGift(ギフト)と言う。フォー・シーズンズのメインボーカルのフランキー・ヴァリは、誰も聞いたことがないようなハイトーンで美しいファルセットを持つ。それが彼が生まれながらに持ったギフトだ。そのギフトだけを頼りにフランキーはチャンスを掴み、成り上がる。音楽やボクシングは、若くて貧乏で野心を持つ男たちの拠り所だった。ハリウッドやラスベガス、それが成功を約束する舞台だった。現代ではそれがシリコンバレーに移っただけで、既存の社会の歯車になることを潔しとしない若者たちはいつでも大きな成功を夢見て、歯を食いしばっている。題材こそ音楽だが、本作はデビッド・フィンチャーの(僕が大好きな)『ソーシャル・ネットワーク』と同じカテゴリーの映画だ。苦悩や悲哀はあっても、成功を目指してひたすら戦う若者の話である。ちなみに、フランキーはもともと自分の名字をVally と綴っていたが、一目惚れした年上の女(のちに結婚)との初デートの際に、「なんて中途半端な名前」と罵られて愕然とする。VallyがYで終わることが中途半端だと女は言う。Yは母音でも子音でもないからだと。イタリア系なら最後は母音だ、と女は勧める。シナトラはA、ロバート・デ・ニーロはO、といった具合だ。妙に強力な説得力にフランキーは彼女にどうしたらいい?と聞く。すると女は、Valliにするべきだと言うのだ。その後彼は女の忠告を入れて、VALLIと名乗って成功する。このシーンは、ある意味『ソーシャル・ネットワーク』で、ショーン・パーカーがマーク・ザッカーバーグに、The Facebookという最初のサービス名からTheを落として、ストレートにFacebookとすべきだとアドバイスをしたエピソードに通ずる、とても印象的で、成功へのきっかけを導き出した良いシーンであると僕は思う。小さなこと、と笑うなかれ。藁をもすがるほど成功に貪欲な者だけが大きな成功を手にすることができるのだ。映画『ジャージー・ボーイズ』オフィシャルサイト映画『ジャージー・ボーイズ』オフィシャルサイト。2.4ブルーレイ&DVDリリース レンタル同時開始。1.21 デジタルセル先行配信wwws.warnerbros.co.jp
このあいだ築地のお寿司屋さんにふらりと行ったんです。その寿司屋の大将が、ぼくのメットを見て「何乗ってるの?」と。ゼファーですと答えると、その大将が、にっこり笑ってこう言ったんです。「オトコカワサキだよな!」ライムグリーンのローソンレプリカ俺も若い頃はZ1000R乗ってたんだよ、と大将。そう、ローソンレプリカに乗っていたとおっしゃるわけです。まあ、それ以上の会話はなかったんですが、とにかくバイク乗り、しかもカワサキ乗りはこうしてコミュニケーションをとるんですよ。特に古いカワサキ、空冷Z系に乗ったことがある大人のバイク乗りにとって、オトコカワサキというマジックワードはいつまでたっても魔法の合言葉として、互いに口にした瞬間に、それは「俺たち、マブダチ(親友ってことです)」と言っているに近い、一体感を作り出します。大排気量スポーツモデルの主な市場だった北米では、世界GPよりも市販車ベースのレーサーで争うスーパーバイクレースが人気で、世界でもトップクラスのライダーがしのぎを削っていた。そのスーパーバイクレースで81年にチャンピオンに輝いたのが、エディ・ローソンとカワサキワークスのZ1000S。その勝利を記念して造られたモデルがZ1000Rである。Z1000Sと同様のライムグリーンのカラーを身にまとい、日本では「ローソンレプリカ」と呼ばれ人気を博した。ローソンのZ1000Sをイメージし、メガホンタイプのカーカー社製集合マフラー、専用の段付きシートやリザーバータンク付きのリアショックを奢ったハイスペックモデル。www.kawasaki-cp.khi.co.jpカワサキのように硬派か軟派かはおいて、こういうブランドイメージを持てたメーカーは幸せですね。ところで、そのローソンレプリカなんですが、エディ・ローソンを知らない読者も多いことでしょう。スーパーバイクやWGP(現在のMotoGP)などで活躍した名レーサーです。その彼が操ったスーパーバイクレーサーZ1000Sを模したカラーリングをまとって発売されたのがZ1000R。ローソンレプリカ、という言い方は日本だけのようです。エディ・レイ・ローソン(Eddie Ray Lawson 、1958年3月11日 - )はアメリカ人のロードレーサーである。WGP500ccクラスにおいて、1984年、1986年、1988年、1989年の4度に渡りタイトルを獲得し、異なる3メーカーでの31勝を挙げた。その機械のように正確なマシンコントロールと着実なレース運びから、「ステディ・エディ」の異名を取った。1978年にはAMAエキスパート・ライセンスを取得。1980年にロードレースに転向し、カワサキと契約。AMAスーパーバイクおよびAMA250ccGPへ参戦。 米国国内選手権の成績に対する報酬として、1981年のドイツグランプリでGP250ccクラスにデビューし、続くネイションズグランプリ(イタリア)、フランスグランプリの計3戦にカワサキからワイルドカードで出場した。また、1981年度にスーパーバイク王者になった際、記念としてカワサキからは「ローソンレプリカ」ことZ1000Rが発売されている。ja.wikipedia.orgオトコカワサキは健在?このローソンレプリカ(略してローレプ)とも言われたマシンは、その後ZRXという水冷4気筒エンジンを積んだクローンマシンを生み、さらに現在でもZRX1200DAEGとして生産が続けられています。その意味では、Z1/Z2がゼファーシリーズという大ヒットモデルを生み、W1がW800として生き残っていることと同じように、カワサキにおける、貴重な遺産というか資産になっているブランドです。ZRX400ja.wikipedia.orgカワサキ・ZRX(ゼットアールエックス)とは、川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニーが製造するオートバイ、およびそのシリーズ車種である。1990年代後半から2000年代にかけて排気量別にラインナップされていたが、2008年の排出ガス規制強化以後に生産されているのはZRX1200 DAEGのみである。単純表記で「ZRX」とされる場合には、厳密にはシリーズとして最初に登場した400ccクラスのビキニカウルつきモデルの車種名のみを指す。ja.wikipedia.orgZRX1200 DAEGwww.kawasaki-motors.comというか、Wシリーズも昔ながらの姿で生き残り、Ninjaもマッハも真の最速のDNAを引き継ぐ形で復活。ローレプも、カラーリングこそ消えましたがZRXとしてその姿を偲ぶことができる。その意味では、Z本来の姿、Z1/Z2からゼファーに繋がった系譜はいまのところ、切れている気がします。名前こそZは継承されていて、スーパーネイキッドというカテゴリーを作ってはいますが、Wやローレプの生き残り方とはやはり違っていて。だから最近ではあまりオトコカワサキ、という挨拶は、現在のカワサキ乗りの間でも死語になりつつあってりして、と寂しく感じたりもするのです。