私はいままで知らなかった。YAMAHAが車椅子を作っていることを。車椅子は、二本の腕を使って動かす人力の車だ。考えてみれば、二輪で人間が乗るもの、という意味ではオートバイも、自転車も、車椅子も同じだ。オートバイにはオートバイの、自転車には自転車の快適さや自由を担保するテクノロジーをYAMAHAは開発している。車椅子には車椅子の快適さと楽しさを作ることが必要だ。だからYAMAHAは車椅子を作っている。車椅子を快適にする。そのためにYAMAHAが行っているのは、電動アシスト自転車 PASに用いたテクノロジーを援用することだ。つまり、電動アシスト付き車椅子、である。日本でもバリアフリーの考え方は浸透しつつあるが、それでも基本的には健常者が生活することを前提に考えられおり、ちょっと坂道や段差が車椅子においては大きな障害になることをなかなか気づけない。だからわずかな距離を移動するにも、二本の腕を酷使しなければならなかった。坂道を登ることが苦痛だとは理解できても、例えば急な坂道を車椅子で降りていくことの恐怖感はなかなか私たちにはわからないものだ。電動アシスト付きだから坂道も楽に上がれるし、下り坂ではエンジンブレーキのように速度を調整してくれるwww.youtube.com坂道や悪路には悪戦苦闘してしまう上り坂も楽だし、下りも怖い思いをしなくて済むまた、家族旅行などの際には車椅子を運ばなくてはならないが、車椅子をコンパクトにたためれば、積載する車を選ばなくて済む。車椅子が日常生活の一部になれる。車にも簡単に詰める軽量で、コンパクトなフォーダブル。www.youtube.comタンデムのように、こうして寄り添っていけば辛いことも乗り切れるかもしれない。www.youtube.com//www.youtube.com/embed/NYq__UU1dHo?rel=0YAMAHA JWX-2 Wheelchair power assist unitwww.youtube.com実はこの車椅子のことを記事にするべきだと私に進めたのは、ある女性(S美としておこう)だ。彼女の母親は下半身麻痺で車椅子生活を余儀なくされており、最近、このJWX-2を購入したのだという。塞ぎがちだった彼女の母親に、明るい笑顔が戻ってきたそうだ。車やオートバイもいいけれど、とS美は真剣な顔で私に言ったのだ。「ロレンスには動くものならなんでも書くんでしょ?」もちろん、と私は答えた。なんでも書けるよ、と。だったら書いて、とS美は笑顔を作った。そして私は書いた。確かに動くものならなんでも書く。今回動いたものは、車椅子もそうだが、実は私の心だった。S美の笑顔と優しさ、そして車椅子にもテクノロジーが必要だという事実に。
「SUZUKA Sound of ENGINE 2015」の2輪部門で一番活躍したのは誰か?といえば、それはケビン・シュワンツだと思います。ペプシ・スズキ、ラッキーストライク・スズキの2台のRGVΓ500に乗って、練習走行の金曜日を含め週末の3日間、何度も走行を披露してくれました。ペプシ・スズキ(XR75)と出番を待つケビン。ペプシ・スズキに乗るときはペプシのスーツ、ラッキーストライク・スズキに乗るときはラッキーストライクのスーツ・・・にちゃんと着替えてました。こちらのXR75は欠品のある状態でしたが、わずか1ヶ月でそれら不足のパーツを製作し、なんとか本番に間に合わせたそうです。英国人オーナーのスティーブさんの地元にはこの手のパーツ製作に長けたF1関連企業が多いので、そのような迅速な対応が可能だったようです。ただ、「クランクシャフトのベアリングが特殊なので、クランクシャフトの新作は現実的に難しい。クランクシャフトが寿命を迎えたら、これらのバイクは走らせることができなくなる・・・」とも言ってました。懐かしさに涙腺が緩みました・・・ウルウル。1990年前後の世界ロードレースGP500ccクラスは、ヤマハ、スズキ、ホンダの3強にイタリアのカジバが挑戦していた時代でした。E.ローソン、W.ガードナー、W.レイニー、R.マモラなどのスターライダーたちの活躍に、地上波深夜放送を見ながらワクワクしていたのが思い出されます。1980年代のロードレースブームにのって、1987年からは1967年以来の日本ラウンドも再開。その日本GPで強さを発揮したのがケビンでした。8度の日本GPで、1988、1989、1991、1994年に優勝を記録。勝率はなんと5割になります。そのアグレッシブで魅せる走りは、多くのファンを日本に生み出しました(私もそのひとりです)。ピットウォークの時間は、サイン責めの時間でもありました。私もサイン欲しかったです・・・(笑)。手前は1989年型ホンダNSR500とE.ローソン。1989年の日本GPの再現!チャンピオンナンバー「1」を付けたラッキーストライク・スズキ(XR94)。こちらは完全にオリジナルで、動態保存された車両です。日曜日の最後の走行前。グリッドに着くケビンとペプシ・スズキ。オリジナルの点火系は欠品していたので、よりモダンな点火システムを専用設計で用意したそうです。日本の宝であるこれらワークスマシンを、情熱をもって動態保存してくれるオーナーのステイーブさんに感謝したいですね。iPhoneの限界・・・スタンディングガッツポーズを撮り損ねてしまいました・・・(反省)。近年は鈴鹿8時間耐久に参戦しているケビンですから、その走りはほかのレジェンドライダーよりも際立って鋭さを感じさせるものでした。レース方式で行われた走行ではいずれもトップでチェッカーフラッグを受けており、鈴鹿の優勝キャリアに新たな数字を加えていました(笑)。おなじみのスタンディングガッツポーズを披露したりと、SUZUKA Sound of ENGINE 2015に集ったファンを大いに喜ばせてくれた偉大なチャンピオンに感謝感激あめあられ(死語)です!
福井は恐竜王国なんです生田晴香は以前、福井には毎月東京からひとりで通っていました。目的は、世界三大恐竜博物館の一つ、福井県立恐竜博物館です。日帰りだと見る時間が少なくなってしまうので福井駅周辺のホテルに泊まり二日連続で行きます。(なので福井県立恐竜博物館には月二回〜行くことも。)初めて福井に行ったときは二泊ホテルをとり、初日に他の観光地(東尋坊)へも行き海鮮や越前かにを食べたりもしましたが、やはりせっかく福井に滞在するなら恐竜!一秒でも長く、恐竜にまみれていたい!二日目三日目は福井県立恐竜博物館で過ごしました。だって世界ですよ!全日本レベルではないのです。世界三大恐竜博物館は他には中国とカナダ、そして福井なんです!日本にあるなら直ぐにでも行くしかないと、生田晴香は即行動したわけです。なぜ毎月行くのか通い始めた頃、福井県立恐竜博物館には、恐竜博士の認定証が貰えて博物館に自分の名前が貼られるシステムがあったのです。それだけではありません。賞状や、非売品シールも貰えるのです。毎月かわる恐竜スタンプを12ヶ月分集める。それだけで恐竜博士として福井県立恐竜博物館に名前が貼られ賞状まで。。毎月スタンプか変わるので、月一のペースを一度でも崩すと、次の機会までもう一年待たなければなりません。スケジュールは計画的に、体調はしっかりと管理しました。そもそも、初めて行ったときは見所満載すぎて、午前中からクローズまで二日連続で行っても全然時間が足りませんでした。認定証書が送られてきました記念画像生田晴香的東京から福井県立恐竜博物館への行き方東京、羽田空港から飛行機で小松空港へ。(約一時間)小松空港から福井駅東口行のバスで福井へ。(約一時間)福井から電車、えちぜん鉄道勝山永平寺線(勝山行)で勝山。(約一時間)勝山からバス、もしくはタクシーで福井県立恐竜博物館へ。北陸新幹線金沢開業しましたが、一分一秒でも早く恐竜に会いたかったり、飛行機に乗る事が好きならば飛行機をオススメします。ただ、新幹線の方が安いです。他に安く行く裏技..ツアーという方法もあります。飛行機と宿泊セットプランがあるのですが、ツアーだからって誰かと一緒というわけではなく、時間やホテルを好きに選べます。かなり安いので、オススメです。ツアーのおかげで恐竜博士になれたと言っても過言ではありません。続く。
【鈴鹿8耐】打倒ストーナーの最右翼チーム登場、王座奪還に挑むヤマハresponse.jp
【SBK 第6戦】カワサキ、トム・サイクスが今季初勝利response.jp
去る5月23、24日に、三重県・鈴鹿サーキットで開催された「SUZUKA Sound of ENGINE 2015」に行ってきました。通常、雑誌編集者としての私の場合、鈴鹿に行くのは雑誌記事の取材・・・というのが常ですが、今回は場内放送のコメンタリー(解説)という初体験のお仕事・・・でした。「SUZUKA Sound of ENGINE 2015」は、2輪・4輪のモータースポーツを彩った名機と名選手をメインにフィーチャーする、日本版"グッドウッド"を目指して企画されたイベントです。"グッドウッド"については、こちらのWikipediaをご参照ください。大雑把に言えば、「葵祭」や「流鏑馬」のように、その国の歴史や文化を振り返る祭りの、自動車文化@欧州・・・みたいなものです(ちなみに秋のグッドウッドでは、「リバイバルミーティング」という、ロードレース形式のイベントも開催されています)。世界で五指に入る? 超一流クラシック系モータージャーナリスト(笑)の私は、過去に何度か"グッドウッド"に遊び or 取材で訪問していますが、"グッドウッド"の面白いところは、いわゆるモータースポーツファンだけではなく、ニット編みが趣味・・・みたいなお婆ちゃん、そして普段はヒップホップを聴いているであろうナウいヤング(死語)など、いつもはモータースポーツに関係なさげな人たちまでがそこに集い、「Lovely・・・」(意訳:ステキ!)と呟きながら、2輪・4輪の名レーシングマシンの疾走する姿を見ているのです。「葵祭」とか「流鏑馬」に例えたのは、つまり彼ら(英国人・欧州人)にとっては、2輪・4輪といった機械文明が、自国の誇るべき歴史・文化という認識が共通意識としてあるのではないか・・・という推論からです。そういうものに注ぐ「あたたかい目」が、彼らにはあるのではないか、と私は確信に近く思うのであります。日本も第二次大戦後から約70年とか経ちますが、戦後から今日までの、日本が経済大国になるまでの過程でそのエンジン役のひとつを果たしたのは2輪・4輪産業に他なりません。2輪・4輪技術の発展なくして国の発展なし・・・将来私が政治家になって、文科省の大臣になった暁には、愛国心ならぬ「愛モーター心」を育む教育を全国民に授けたいと思います。みなさま、清き一票をお願いいたします(笑)。キングケニーは日本車育ち長い前置きはそれくらいにして、本題に移りましょう。観衆の主な興味の対象であるイベントの主役は華やかなワークスマシンとレジェンドライダー/ドライバーですが、それ以外のヒストリックロードレーサーオーナーの趣味人たちも参加していました。1966年ブリヂストン90にまたがるジャングルスクーターズ店主の古田さん(左)と、3度世界GP王者になったキングことケニー・ロバーツ。イベント開始前日の22日(金)は、本番に向けての練習走行が行われました。紆余曲折があり? 今回2輪の一般参加はわずか5台・・・という寂しい内容でした。もっと多くのヒストリックロードレーサーオーナーに参加してもらえるように、主催者には彼らの想いをくんだ上で、ひと工夫ふた工夫を考えていただきたいものですね。そんな一般参加者たちのピット内に、金曜日の午後どよめきが起こりました。"キングケニー"ことケニー・ロバーツがピットに訪問し、参加車両各車に慈しみの眼差しを注いでいたのです。話を聞いてみると・・・「私が初めて乗ったバイクは、トーハツの50ccなんだよ。スズキX6ハスラー(注:日本国内市場の2ストローク250ccツイン・6速のT20系)のエンジンを使ったハーフマイルのダートトラッカーにも乗っていたんだよ」。ヤマハのファクトリーバイクであるYZR500を駆り、1978〜1980年の世界ロードレースGP500ccクラス王者となったケニーさんは、日本車でノービス期を過ごし、ライディングのなんたるかを学んだのです。24日(日)に、カワサキのGP500ccマシン、KR500(1981年型)に乗るケニーさん。アメリカ人ライダーの世界ロードレースGPでの活躍=アメリカン・インベーションの代表であるグレートチャンピオンが、日本車で育ったということは、日本人のひとりとして非常に嬉しいことですね。なおカワサキKR500を今回鈴鹿に持ち込んだ英国人オーナー、クリスさんのはからいで、ケニーは現役当時ライバルとして戦ったマシンにライディングしたのですが、「ポジションが合わなくて怖い」と数周でピットインしました。あくまでデモンストレーション走行なのだから、安全第一でタラ〜っと走ればいいのに、とも思いましたが、そこはやはり"生粋のレーサー"なのでしょう。100%で走れないならば走らない・・・と言わんばかりの振る舞いに、キングのキングたるゆえん、を感じた次第です(続く)。
【JNCC 第3戦】 渡辺学、開幕から破竹の3連勝[写真蔵]response.jp
ロールス・ロイスといえば、世界のVIP御用達の超高級自動車の代名詞のような存在ですが、海外旅行などで乗る、ジャンボジェットのジェットエンジンに、ロールス・ロイスのロゴマークを見つけて、あれっと思ったことがある方も多いのではないでしょうか。自動車やバイクのメーカーには、航空機製造の歴史をもつ会社は少なくないですが、ロールス・ロイスも例外ではなく、第一次世界大戦の時に航空機のエンジンを手がけ、第二次世界大戦中には最新の技術であったジェットエンジンの開発をはじめています。全日空が運行している最新のボーイング787にも、ロールス・ロイス製のエンジンが搭載されてるんですよ。https://www.youtube.com/embed/vDU8su2E3Ek?rel=0● Oto jak powstaje turbowentylatorowy silnik Trent.この映像はロールス・ロイス製のジェットエンジン「トレント」が、工場で製造されてジャンボに搭載されるまでを4分弱で見せてくれます。あらためてジェットエンジンが、高度な工業製品であるということに気づかされました。そして、ジャンボジェットの翼にぶら下がっているエンジンは、単体で見るととっても巨大だということにも、当たり前ですが驚きました。
こんにちは。前回の教えてワードのハイサイド。バイクに限らず乗り物は必ずしも危険はゼロではないので、このような状況もあるのだということもしっかりと覚えておかないといけませんね!勉強になりました!それにしてもハイサイドをかわしたロッシの画像は本当にお見事でしたね!!!というわけで、今日も新しいバイク用語学んでいきましょう!今日のおしえてワードはこちら。スリッパークラッチ「クラッチ」はエンジンを切り替える時に使うもので、自動車用語にもありますよね!「スリッパー」というのはスリップのことでしょうか?「スリッパークラッチ」についてくわしく教えてください♩おしえて。ロレンス編集長〜!?正しいお答え: from ロレンス編集長はい、お答えします。「スリッパークラッチ」とは最近のスポーツバイクに採用されることが多くなった、新しいクラッチシステムです。スリッパークラッチを説明する前に、エンジンブレーキについてもう一度おさらいをしておきましょう。バイクはアクセルを開けると加速しますし、アクセルを戻すと減速します。このアクセルを戻した時に、バイク自体は慣性で前進しようとしますが、クラッチを切らないとタイヤにつながっているエンジンも、そのまま回ることになります。このときにエンジン内部で抵抗が起きて、この抵抗力がタイヤの回転を止めようとする方向に力がかかり、結果的にブレーキをかけているのと同様の効果を生むというのがエンジンブレーキです。このエンジンブレーキはギアが低いほど効果が強く現れます。バイクはいまでもマニュアルシフトのマシンが主流ですので、通常は減速する際にシフトダウンしてゆくことになりますが、スピードによっては、この時にかかるエンジンブレーキが強く作用し過ぎて、場合によってはリアタイヤをロックさせてしまうこともあります。これはコーナーリングの手前などでは転倒につながりかねません。このような状態になることをさけるのが「スリッパークラッチ」の役割です。www.kawasaki-cp.khi.co.jpこれはKawasaki Ninjaに装着されている「Assist & Slipper Clutch」の構造です。通常は図の左側のように、クラッチ板同士が密着して、エンジンのパワーをリアタイヤに伝えますが、急激なシフトダウンによって、エンジンブレーキが強く効きだすと図の右側のように、クラッチ板が離れようとする構造になっています。これによりバックトルクといって、エンジンがリアタイヤを逆回転させようとする力を和らげるのです。またこの独特のクラッチ板の構造によって、走行時のクラッチ板同士の密着がよく、クラッチレバーを握る力を軽減する効果も得られることとなったのです。外見ではわからない部品ですが、大きく進化しているのですね。
【鈴鹿8耐】現役MotoGPライダーが参戦...ヤマハファクトリー、参戦ライダー発表response.jp
Z400FXja.wikipedia.orgバイク漫画の代表作の一つ、『ふたり鷹』(新谷かおる原作)の主人公の一人、沢渡 鷹の愛車として登場し、『ケンタウロスの伝説』の主人公ケン坊の愛車でもありました。399cc、つまり中型車です。空冷4ストロークDOHC2バルブ直列4気筒で43馬力。1979年から1982年まで生産され、その直線的なボディから硬派のイメージが強く、暴走族や公道レーサーたちの垂涎の的でした。どこで読んだかは忘れましたが、1970年代から80年代は暴走族全盛期で、当時のカワサキの人たちがFXの販売認可を得るために運輸省に資料を持ち込んだら「またやつら(暴走族)が好きそうなワルいバイク作っちゃって」と苦い顔をされたといいます。本当のことかどうか、今度ちゃんと調べてみますが、それくらい、当時の若者に受け入れられやすい、つっぱったイメージがこのFXにはあります。今見てもかっこいいと思うし、Z2やカタナに次ぐくらい、多くの漫画や映画のバイク乗りたちに愛された名車でした。uematsu.co.jpuematsu.co.jpカワサキ・Z400FX(ゼットよんひゃくエフエックス)とは、川崎重工業が製造していた中型 オートバイ。FX(エフエックス)を略して「フェックス」の愛称で親しまれた。ja.wikipedia.orgさて、いま手に入れようと思ったらどうでしょう??このバイク、前述のようにみんな思い切り改造しまくっていたので、なかなかいい保存状態の車両が少ないってイメージ。大手中古バイク情報サイトのWeBikeによると、FXの中古販売価格は、2015年5月現在で 全国平均157.39万円(最安値 78.75万円, / 最高値 232.8万円)とのこと。まぁまぁ行ってますね・・・。でも、他の希少な国産旧車に比べれば意外とリーズナブルかも・・・。いやいや、でも400ccですからねえ。いくらFXとはいえ。やはり高いですね。オリジナルの状態を保って、かつ保存状態がいい車両になるとやはり百数十万、という感じです。もうちょっと頑張ればZ2も買えちゃいますね。というより、最新のリッターバイクも買えますね。うーん・・・・。でも欲しいっちゃ欲しいっです!
アディダスの中でも伝統的なスニーカー「スーパースター」が世界6都市に生まれ変わる?アディダス オリジナルス(ADIDAS ORIGINALS)より、「スーパースター エイティーズ シティ シリーズ(SUPERSTAR 80S CITY SERIES)」を発売する。今回のーは、世界6都市(東京、ロンドン、ニューヨーク、上海、ベルリン、パリ)をイメージしたスニーカー。こちらのシューズのポイントはシューズの側面にある。パリをイメージしたこちらのブルーのシューズには、ゴールドでエッフェル塔のマークが描かれている。パリ エッフェル搭www.fashion-press.netその他、上海は上海タワー、ロンドンにはビックベンのように、それぞれの都市のシンボルが描かれているのだ。引き締まった鮮やかなカラーバリエーションも実にファッショナブルである。発売日は2015年5月30日(土)で価格は16,000円(税抜き)。なんていったって母国が好き!というなら「Tokyo」を選んでもよし!または行ってみたい都市、お気に入りのカラーがあればそちらを選んでもよし!いずれにいても、選ぶ楽しさと履く楽しさ、2つを兼ね備えた期待のスニーカーであることには間違いない。adidas Originals | Superstar 80s City Seriesパリ、ロンドン、ニューヨーク、ベルリン、東京、上海。世界の6都市をビビッドなカラーで表現したSuperstar 80s。 adidas Originals ルックブックで、最新のストリートコレクションをチェックしよう。adidas.jp