【MotoGP 第4戦】モトGP第4戦、エスパルガロ7位、ビニャーレス11位。レースから豊富な収穫を得たチームスズキエクスター。www1.suzuki.co.jp
<ジムカーナ>マレーシアのジムカーナ大会「MOTACK - Malaysian Motorcycle Time Attack」に参加してみた!(その1)オートバイ杯をはじめ、日本国内行われている二輪ジムカーナ。 戦後に在日米軍などによって伝えられた外来の競技だが、 さまざまな試行錯誤を経て日本独自のスタイルが確立されたものだ。 しかし近年、この日本式の二輪ジムカーナが海外でも注目されるようになり、 ヨーロッパや東南アジアの各地で大会が開催されるまでになった。 そんな海外でのジムカーナ、マレーシアで2月に開催された 「MOTACK - Malaysian Motorcycle Time Attack Round 1」に、 JAGE・A級でオートバイ杯の2014年SB級チャンピオンの小崎選手と、 同じくC1級の高嶋選手が日本から参戦。 小崎選手から届いた参戦レポートをお届けしよう。www.autoby.jp
間に合わなかったけどねw往復120Kmでした。
6/5/4 MOTORSはストックホルムのカスタムビルダー。日本とヨーロッパのバイクをベースに、カフェ、ストリートトラッカー、スクランブラーのカスタムを得意としています。このZはスクランブラーですね。潔いまでに余計な部品を取り外して、ワイルドなボディに仕上げているのに、タンクは女性的なほどに可憐な形とカラー。なんとも北欧的というか、渋さよりは洗練された可愛らしさが勝ってますね。www.654motors.comwww.654motors.comwww.654motors.comHomecustombyggda caferacer och scrambler motorcyklar i stockholmwww.654motors.com
モトグッツィのカスタムを得意とするFIFTYFIVE GARAGE。色使いも上手で、女の子受けしそうがカスタムです。fiftyfivegarage.it//www.youtube.com/embed/d-JyzKidSvA?rel=0Custom Moto Guzzi 750 by Fiftyfive Garageyoutu.beBenevnuto in FiftyFive Garage | Cafティ Racer e SpecialLe nostre special sono pezzi unici, numerati e realizzati a mano. Grande passione e cura dei dettagli sono alla base di un prodotto di alto livello.fiftyfivegarage.it
ロードライダー、400号記念の読者ミーティングを筑波で開催...6月7日response.jp
こんにちは♩いよいよGWに突入しましたね!!GW中はなんとかお天気が良いみたいで良かったです。今日も新しいバイク用語勉強していきましょう!今日の教えてワードはこちら。スクランブラー「スクランブラー」とは、ドゥカティの伝統的なモデルなのだそうですね。今年行ったモーターサイクルショーでもドゥカティのブースがあったので、わたしもちょこっとだけ知っていました♩ドィカティのスクランブラーは人気なだけあって、可愛いグッズがこんなにもたくさんあるんです♩ヘルメットバックscramblerducati.comマグカップscramblerducati.comTシャツscramblerducati.com黄色や赤が基調みたいですね♩モーターサイクルショーでも黄色いバイクが置いてあったのが印象的でした!!さてさて♩というわけで、これより先は編集長について詳しく説明してもらいましょう!!教えて!ロレンス編集長〜!!正しいお答え: from ロレンス編集長はい、お答えします。アキちゃんがお気に入りのドゥカティ スクランブラーは、先の東京モーターサイクルショーでも大注目の1台でしたね。簡単に言うとスクランブラーとは、オンロードもオフロードも走ることのできるバイクのいちジャンルです。つまりオフロードバイクの一種ということになりますね。スクランブラーの歴史はとっても古いのですこのスクランブラーの起源は1960年代以前にまで遡ります。当時は今のように本格的なサーキットはあまり多くありませんでしたから、不整地、つまりオフロードでのレースも盛んに行われていました。ところがこの頃は、今のようにモトクロッサーのような、オフロード専用のバイクというのが存在していませんでしたから、オンロードバイクをオフロード用に様々なカスタムを施したのがスクランブラーとなってゆきます。語源はスクランブル=緊急発進このオンロードバイクを改造してオフロードで競ったレースは、スクランブルレースと言われたことから、これに出場するマシンをスクランブラーと呼ぶようになりました。ちなみにスクランブルとは緊急発進という意味で、レーサーたちが一列に並んで一斉にスタートしたことからきているようです。これは現在のモトクロスのスタート方法にも受け継がれていますね。1968年に発売されたドゥカティ・スクランブラーwww.ducati.co.jpロレンスでも着目して紹介している世界のカスタムシーンでも、スクランブラーは主流のひとつとなっています。この写真は1968年にイタリアで発売された、ドゥカティ スクランブラーです。いまのドゥカティ スクランブラーにとてもよく似ていますね。このスクランブラーはこの時代に大人気を博し、若者のファッションにまで影響を与えたそうです。いまのカスタムカルチャーと共通点がありますね。そういう意味でもスクランブラーは、これから目が離せないバイクスタイルのひとつとなってゆくのではしょうか。
ゴールデン・ウィーク期間中の営業のお知せ今更ながら、ですが... 弊社ゴールデン・ウィーク中は、5/5 (火曜日) 及び 5/6 (水曜日) のみ休業とさせて頂きます。 つまりは、本日、そして明日の5/4 (月曜日) は通常どおり営業を致してお....www.so-bad-review.com
二輪車リセールプライス、ゴールドウイング が首位...バイク王調べresponse.jp
グレー&カーボン柄を採用! Ninja 400 ABS Limited Editionが登場!人気モデルのNinja 400 ABS に、 2015年仕様のLimited Editionが登場します。 今回のモデルは、グレー&カーボン柄に、ゴールドを組み合わせた 質感あふれる仕様! 発売予定日は2015年6月1日となっています。 KAWASAKI Ninja 400 ABS Limited Edition ■価格:75万1680円www.autoby.jp
英国を代表するメディアのひとつ、MCNによると、6度の世界ロードレースGP王者であり、6度のマン島TTウィナーであるジェフ・デュークが92歳で亡くなったとのことです。1952年、ダッチTT(アッセン)500ccクラスをノートンで走るデューク。theselvedgeyard.files.wordpress.com1949年のセニア(500cc)クラブマンTTで勝利したデュークは、その目覚ましい成長ぶりから翌年よりノートンのファクトリーチームに加入。1950年に導入された新型フレーム「フェザーベッド」型マンクス黎明期のエースライダーとなりました。1950年マン島TTセニア(500cc)で、ノートンに乗り優勝したデューク(57番)。彼は現代主流のセンターファスナー型ワンピースのレザースーツを、最初に着用したライダーとも言われています。d1uzk9o9cg136f.cloudfront.netノートンからジレラへ世界ロードレースGPで、1951年に350ccと500ccのダブルタイトルを獲得。そして1952年には350ccクラスを再び制覇したデュークですが、1953年からはイタリアのライバルであるジレラに移籍すると発表し、一大センセーションを巻き起こしました。1955年のアルスターGPで、ジレラ4気筒に乗り後方を見るデューク。1.bp.blogspot.comMVとジレラの4気筒は当時、エンジンパワーではノートン単気筒を圧倒していましたが、ハンドリングに難があり、フェザーベッドフレームを「強み」とするノートン相手に苦戦していました。フェザーベッドフレーム型マンクスを知り尽くしたライダーであるデュークと、彼の盟友であるケン・スプレイソン(鋼管メーカーのレイノルズ社のスタッフ)の力を手に入れたジレラは、みるみるうちにハンドリングを向上させ、無敵のコンビネーションになるまではそう長い時間を要しませんでした。デュークは1953年から1955年まで、最高峰500ccで3連覇の偉業を達成。1958年以降はプライベーターとなり、1959年にGPを引退しました。2008年に250ccクラス王者となり、ジレラのレジェンドライダーとなった故マルコ・シモンチェリを祝福するデューク(2009年)。www.bikeracing.it//www.youtube.com/embed/HHzWScP2T1c?rel=0MotoGP legend - Geoff Duke - In Pursuit of Perfectionyoutu.beこちらはDUKE VIDEOの、氏の伝記ムービーのトレーラーです。ちなみに同社は息子のピーターが始めた映像会社で、モータースポーツ関連ビデオを得意としています。ご冥福をお祈りします。
2009年にダカールラリーが南米に舞台を移して数年経ちましたが、未だに「パリダカ」と呼んでしまう人が数多いことが示すように(笑)、1979年以来の欧州-アフリカ大陸で競われたパリ-ダカールのイメージが強く残っている人が多いようですね。ベルナルド・チェルニアウスキーとベスパ200Eの勇姿!cdn05.motorsportretro.com長年のダカールラリーの歴史のなかでも、1980年大会の4台のベスパ200Eによる挑戦は、偉大なチャレンジのひとつにあげられるでしょう。チーム監督はジャン=フランソワ・ピオット。イヴァンとベルナルドのチェルニアウスキー兄弟ふたり、そしてベルナルド・ネイマールとマルク・シモノがそのハンドルを託されました。4台のベスパは、2台のランドローバーのサポートで冒険を続けました。encrypted-tbn2.gstatic.com小さなスクーターによる大きな冒険この年のパリ-ダカールの完走率は、全車両211台のうち79台=37%というものでした。一説には、主催者の故ティエリー・サビーヌの「お目こぼし」もあったとも言われてますが、ともあれベスパは4台のうち、ベルナルド・チェルニアウスキーとマルク・シモノが見事に完走しています。小径タイヤのスクーターで、砂漠を走るのは相当大変でしょうね・・・。i36.photobucket.comその後のダカールラリーの歴史のなかで、同じようなチャレンジを行った人はおりません。冒険好きな国民が多い、フランス人ならではのチャレンジだったと言えるのかもしれません。