存在感を増すプラティシャー。その条件とは?
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大事なことは、一見見落としがちだ。

写真のカフェも、見ての通りかなり目立たないので、何年も前を素通りしていた。中に入れば実に居心地の良い、枯れた感じのいい店だ。

僕もまた、自分が作り上げたサービスの真のあり方を長いこと、見極めていなかったのかもしれない。
プラットフォームとして、コミュニティやWebサイトを簡単に構築し、運営できるサービスを提供しているのだから、その機能や安定性を追求することばかりを考えてきた。
しかし、我々が開発したRevolver(Dinoを含む)は、プラットフォームであると同時にメディアになってきていることを、永らく敢えて無視してきた。つまり我々自身もメディア運営の一端を担うことを放棄してきた。しかし、いまはそれが誤りであり、むしろ積極的な関与をするべきということに気づいている。

いま、僕たちは数千を超えるコミュニティやサイトを抱えているが、そのオーナーはお客様であり、パートナーだ。彼らのコミュニティやサイトの運営をもっと積極的に支援して、かかわっていくことで、メディアとして成立させていくことが、僕たちの責務である。

つまり、プラットフォームであると同時にパブリッシャーとして加担する。いわゆるプラティシャーにならなければならない。

プラティシャーは、誰でも自分のメディアを作り運営できるようなサービスを提供する。同時にそのメディアを成長させるためのサポートとマネタイズの機会を提供しなくてはならない。

それが真のプラティシャーへの道であり、条件であると考えている。

ローカーボン実施中。月内に−3Kgへ
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艱難辛苦を乗り越えて戦い抜くために、再度ローカーボンダイエット x ウェイトトレーニングで、カラダのチューニングに着手。

筋肉量を保ったまま3キロ減らすということは、脂肪を焼くことに他ならない。

土日以外は炭水化物をゼロにして、肉と魚と野菜のみの食事。お腹が空いたらプロテイン。

ローカーボンダイエットは、短期的には内臓脂肪を減らすが、皮下脂肪まで効いてくるには三週間は必要。

月末に成果を報告したい。

さよなら、ベスパ。
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Vespa PX200FL2。
6年連れ添った相棒。15910Km。

このPX200FL2は2代目で、初代はギアが吹っ飛んで廃車になった。それから数えると14年もの間、日常の足として働いてくれたVespaと今日別れを告げた。昨日遅かったけれど、なんとか朝早く起きて軽くだけど洗車して綺麗になったね。次のパートナーは、僕より君を大切にしてくれるといいな。

明日からは、またカワサキに復帰するけど、君のことは忘れないよ。いままで、ありがとう。
街角で似た姿を見かけるごとに、甘酸っぱい想いに胸を締めつけられるだろうな。

Hello, Good-bye
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2014年の8月ももうすぐ終わる。夏らしいことはほとんどしていないが。

この8月は、一生忘れ得ない別れを二つ、経験することになった。数年以上のつきあいで、多分死ぬまで共にあると信じていた仲が簡単にブレイクして、まるで交わった直線が接点を超えたあたりからどんどん方向を変えて遠ざかっていくかのように離れていく。

つらいが、それを止めることも引き戻すことももはやできない。
せめて互いの記憶を永くとどめておきたいと願うが、それもセンチメンタルかつ自分勝手な感傷に過ぎないことも、始めから分かっている・・・・。

二つの別れの一つが、こいつだけしかいないと誓ったはずの相棒、Vespa P200FL2との別離だ。この週末に、小粋なイタリア娘とのランデブーは終わりを告げ、新しいパートナーの元へと旅立っていく。一生面倒を見ると約束したのに。
長年憧れ続けたマドンナとの、奇跡的な邂逅の前に、後ろ姿美人のVespaとの別れを決意した僕は、自分勝手と言われてもしょうがないだろう。

さようなら恋人。君を忘れようと努力する僕を許してほしい。忘れられない、でも思い出さないように必死で努力する。捨て去ったはずの憧憬に再び心を奪われた僕を、どうか許してほしい。

ステファン・エドバーグにコーチしてもらいたい。
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これから1時間テニス。
サーブ&ボレーしかできない僕だ。最近は流行らないが、一番テニスを観ていた頃や、マレーシア時代に頻繁にやっていた頃にはエドバーグを筆頭に、このプレースタイルのプレイヤーが輝いてたからな。

さて、怪我しない程度に張り切ろう。

ランチして戻ったら、また仕事するさ。

good bye
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Good byeとは、「さようなら」という意味だが、そもそもの意味は神がそばにいますように、という意味だ。日本語のさようならとは、左様なら、つまり「もうご用はないですか、左様ですか、なら帰ります」という意味であり、英語のように別れていく相手の無事を祈るような意味はない。

もちろん、今となっては日本語でも英語でも大した変わりはなく、単に今日の別れを惜しむ言葉であり、明日の互いの無事と楽しい再会を祈る意味である。

僕は長いこと仕事をしてきて、深くかかわり合ったのに、環境が変わってもしかしたら二度と会えないかもしれない関係を幾度も経験してきた。心がちぎれるような思いをして別れていっても、やがて互いに忘れていく。そして、同時に数年を経て、再び邂逅の機会を得ることができる人もいる。

マレーシアで数年を過ごしたのはもう十数年前だが、そのときに友人たちと、去年今年と再会した。そういうこともある。
国籍や人種や年月を超えて、また楽しく熱い思いを共有できることもある。だから今日、明日、昨日、また別れを経験したとしても、悲しむことも焦ることもない。再び想いは交錯する。時間とは、単に一直線に流れていくものでもなく、螺旋のように絡み合う、縁がある人とは必ずまた交差するのだから。

僕たちにできることは一つ。大切な人たちや環境を守り、その約束を忘れないこと。距離や時間とは関係なく、思いを強く、その手に握り続けていくことだとおもう。

キリンは泣かない。
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東本昌平のコミック『キリン』。バイク乗りなら必ず読んでいる作品で、その中でも初期の「Point of No Return」は、デカ尻ことポルシェ911との勝負にこだわるバイク乗りを描いた名作中の名作。

スズキの傑作バイクのカタナ(GSX1100S)に乗る主人公「キリン」は38歳。もはや自分は人生の半ばにさしかかり、バイクで公道バトルをやる歳じゃないことは重々承知なくらいなオトナだ。
しかし、911に勝つためなら死んでもいいと思い込めた十代の頃の気分にケリをつけるなら今しかない、ここがPoint of No Returnなのだからと考え、最後の勝負に挑む。
主人公の口癖はキリンは泣かない。
キリンは子供をライオンに食われても泣くこともない、自分が無力なことを泣いてもしょうがないからだ。同じようにバイク乗りは社会的に無力だが、キリンと同じように自分もそういう立場でいることを嘆くこともない。ただ乗り続けるだけだ、という意味だ。
これは今で言えば Let it goと同義だろう。
自分は自分、というのではなく、人がなにを言おうがどうでもいい、気にしない、ということだ。自分はただバイクに乗り続けるだけ。
虚無的でありながら、我が道を行くことにためらいはない。それがキリンは泣かないというフレーズに込められた意志なのだ。

GRのUI、変わった?
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おかしいな、無意識に設定変えたのかな、愛用のコンデジ GRの液晶の左隅に、撮影モードを示すアイコンがでていて超便利に。

僕はたいていはMすなわちマニュアルで撮影するんだけど、たまには動画撮ったり、シャッター速度優先モードにしたりするし、露出をいちいち気にする間がないスナップなどの場合には、とっさにAUTOモードにすることはある。

問題は、暗いところでダイアルを回して、元のMモードに戻そうとする時に、ダイアルの表示が見づらいということ。
わりといつも、それで苦労していたんだけど、今日見たら液晶にモードのアイコンが出ていて、これなら迷うことなく使える!

勝手にファームウェアをダウンロードしたわけではないだろうから、最初からある設定を、無意識に発見したんだろうと思うけど、こういう小さな偶然がプロダクトへの愛着を産むんだと思うな。

明日はEOS 5D3を多用する日だから、こっちもちゃんと見てみよう。

命綱があるうちに
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垂れ下がったロープを掴んでカラダを支えながら、長いこと思案をしていたこの子供のチンパンジーは、その後意を決したようにゆっくりと水平に張られたロープを渡り始めた。

安全を担保しながらの冒険はできない。勝負をするならリスクを張らなければならないが、どのくらいの危険性があるのか、失敗したらどうなるのか、失敗せずに冒険を全う出来る確率と、それによって得られる価値とはなんなのか。それらを冷静に考えなければならない。

計算し尽くしたリスクと向き合い、前へと進む勇気を持つこと。
それこそが挑戦者としての資質である。

常用域での相棒。
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僕はGRを愛用している。所々で公言しているからご存知の方も多いかと思う。

クリエイティブ面の師匠でありマレーシア時代からの友人である 独立系クリエイティブエージェンシー RISNの丸田さんの勧めで一眼レフはCanonのEOS 5D Mark III(5D3)にしたが、スナップシューターとしてのGRには相変わらず入れ込んでいる。
(ちなみに丸田さんはGRは「持ち運ぶには大きさが中途半端」という理由で評価していないのだが、僕からするとこれ以上小さいコンデジを使うなら、iPhoneで十分に思うし、どうせMacBook Proを持ち歩くくらいのバッグを使っているので、中に放り込むにはGRの大きさには不満がない)

スナップシューターとしてGRが優秀なのは起動の速さだ。iPhoneのロックを外し、カメラアプリを立ち上げる速度とそれほど変わりはない。武器に例えるなら、iPhoneのカメラはナイフのようなもので超接近戦に向く。常に持ち歩いているので、とっさのときの緊急手段的な撮影や、名刺や印刷資料をスキャンするようなときに役立つ。

GRは護身用拳銃、それもリボルバーのようなもので、日常的なスナップに使う。スナップというものは、撮りたいものを意識的ではなく無意識に探して撮るものだ。撮りたいものが決まっていて、意識的に探す用意ができるなら画質も良くパワフルな一眼レフのほうがいい。無意識に撮りたいものを探していて、それに出くわす幸運を逃したくないから、キレイな写真を撮れて、しかも取り回しの優しいコンデジがいい。重い一眼レフでは無意識に探していた被写体を撮り逃がすし、iPhoneでは撮れたとしても画質に満足できないことが多い。スナップショットでは狙って撃つのではなく、撃ってから狙う。カメラでも同じで撮ってから狙う。そのときの結果としての画質の良さを担保してくれるからGRを選んだ。iPhone、もしくはより軽くて低価格のコンデジでは撮れても結果を担保してくれることはないからだ。

そして5D3は狙撃に使う高性能ライフルのようなもので、ターゲットとなる被写体が決まっていて、撮影条件が過酷かどうかは別にしてもある程度予測できる状態にあるときに使う。つまりスナイパー専用だ。遠距離撮影でもポートレートでも、撮影条件に合わせてライティングやレンズの選択を検討し選択する時間と余裕を持てる、逆に言うとその時間と余裕がなければ精密な撮影が出来ないような場面で使う。僕の場合は、やはり遠距離の撮影(300mm maxの望遠レンズを使用)か、当面のライフワークにしている起業家のポートレート撮影(50mm F1.2 or 100mm F2.8の単焦点レンズを使用)に絞っている。セッティングが命であり、事前準備の精密さが腕そのものよりもモノを言うのが一眼レフの世界だと思う。


5D3には非常に満足しているし、撮ることの楽しさも半端ないのだが、写真を日々楽しむということであれば、やはりGRは頼もしい相棒だ。
仕事で使う写真も自分で撮り始めているが、5D3で撮影した写真が7割で、残りの3割くらいは意外にGRでサクッと撮った写真を使っているほどなのである。

アタマとココロを癒すために、写真の勉強をするのは変ですか?
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このところ、とにかく時間がなくて、今日も朝九時からいままで働き詰めだ。

腰が痛くなったので、いまは立ち上がって本を読んでいる。なにを読んでいるかというと、ナショナルジオグラフィックの撮影技術のマニュアルである。それで休まるの?と言われるかもしれないが、カメラはクルマと同じで実にシンプルにのめりこめるのだ。


もう少ししたら、締め切り間近の原稿の手直しをして、映画を見ながらプレゼンのシナリオを作る。

アーティスティックであってもアートではなく。
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この写真は、青山一丁目にあるオブジェクトで、たまにボールをころがすパフォーマンスを見せてくれる、動的なアートだ。
メカニカルで面白いが、僕たちが作るサービスや製品=プロダクトはアーティスティックではあってもアートではないから、むき出しの中身を見せることはない。どう動いているのかはブラックボックスでいい。

しかしながら、本当に優れたプロダクトは、その中身、裏側を見られてもなんら問題がないくらいに美しくあるべきだし、たいていのマスターピースはそういうものだ。

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