せっかく博多に行ったのに、それらしい場所には行けず、撮った写真もお国柄を表す情緒はゼロ。
いいんだよ、それでも僕はシャッターを押すから。
せっかく博多に行ったのに、それらしい場所には行けず、撮った写真もお国柄を表す情緒はゼロ。
いいんだよ、それでも僕はシャッターを押すから。
http://japan.cnet.com/news/business/35051086/
『テレパシージャパンは、6月に米TelepathyのCEOを退任したと報じられた井口尊仁氏について、米TelepathyおよびテレパシージャパンのCEO並びに取締役を退任したと正式に発表した。』
事情や人の評価はどうあれ、僕は井口さんが好きだ。
この写真は、KL時代、まあだいたい17ー18年前のものなんだがσ(^_^;)、カワサキの当時世界最速バイク ZZR1100に入れ込んでいた頃。
いまは知らないが、あの頃マレーシアで大型バイクに乗っている日本人は僕だけだったと思う。
大好きなキリンというバイク漫画の中で、死んでもいいから闘争する、というフレーズがあり、雨が降ってもツーリング、睡眠不足でも提案書、リスクがあっても勝負する、みたいな感じで、とにかく自分を鼓舞するときに、よくひとりつぶやいていた。
いまはバイクよりクルマに乗る方がはるかに多くなり、たまにベスパを乗るくらいになったが、それでも気分はバイク乗りのままだ。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140718/t10013104481000.html
これで今年二度目。マレーシア航空の安全神話は完全に崩壊した。
KL在住時、僕はマレーシア航空(MAS)をメインにして、日本との行き来をしていたが、もはやこのフライトに乗りたいとは到底思えない。
マレーシア政府は、真相の究明を一刻も早く行なうべきであるし、対策を講じるべきだ。シンガポールに並ぶアジアの優等生と称されたマレーシアだが、このままでは経済ではシンガポールに引き離され、さらに人口の面で遥かに優位にあるインドネシアにも、おいていかれてしまうだろう。
僕はこのサイトを作っていて、さらにいうとこのサイトを作る為のツール(CMS)を開発していて、いっさいのプログラミングもHTMLも知らないし(いや、知ってはいるけどw)、使っていない。
このサイトのデザインやレイアウトは、しょっちゅう変えているが、それもすべて特別な知識を不要としない、CMSのインターフェイス上でやっている。
高度な編集や設定でも、若干の慣れはあったほうがよいが、それでも経験も訓練も不要である。
つまり、すべてのサービスがどんどんブラックボックス化し、特別な知識や資格の取得が無用になっていくのだ。
いまだに日本の60%の企業はWebサイトをもっていない。中小企業であればスマホに最適化されたサイトをもっているところは、ほぼゼロだ。
東南アジアあたりだと、この傾向はよりいっそう顕著だろう。
だからこそ、PCをすっ飛ばして、スマホ一つでクールで読みやすいインターネットサイトを作ることをブラックボックス化していくことに、僕らは大きな意義を感じるのである。
僕は基本的に宵っ張りなんで、明日の朝相当に早起きだろうとも、すぐには寝られず、ついつい仕事をしてしまう。
絶対、朝には公開するするとわかっているのに・・・・
http://www.mdn.co.jp/di/newstopics/36973/?rm=1
日本経済新聞が2014年1月に公表した記事によると、2017年にはアジア全域でのアクティブなスマートフォンの回線利用数が20億を超えるという。
もちろん過半数を中国とインドが占めるわけだが、それでも東南アジアにおいても4億人近いスマートフォンユーザーが生まれる。日本と合わせると2017年時点で北米を超える大きな市場になるだろう。
さらに別の統計がある。インターネットの利用にPCを使わないモバイルのみのユーザーが急増しており、国別に多少のばらつきはあるものの、若年層を中心に20~40%を占めはじめている。インドではすでに過半数という。彼らはモバイルファースト(=モバイルを主、PCを従としているユーザー)でさえない。モバイルオンリー世代だ。しかもアジア圏の国民の平均年齢は若く、25歳以下が国の半分を占めているケースも多い。つまり、モバイルオンリーのユーザーが、ふつうのインターネットユーザーの姿なのである。
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人間の眼は優秀なレンズだ。
近くのものを見つめると、その背景からの情報を脳に伝えることをやめる。
六本木のAxisビルのこの店は、クルマ関係のグッズを売っているのだが、時々美しくレストアされた旧車をおいていて、目が覚める思いを味わえる。
実際に走れるクルマではないのかもしれないが、眼福に預かれるだけでも、素晴らしいサービス。
クルマ好きなら、ぜひ足を向けて欲しい場所の一つ。
まあ、一番困ることは何事の勝負でもジャンケンでの決着を挑まれることだろうな。
避けて通れればそれに越したことないけど、どうしても受けざるを得ない勝負もあるだろう。
そのときは、フォッフォッフォゥと笑いつつ余裕をかましてやるしかない。
あれ、こいつ、もしかしてチョキ以外もだせんのか?と相手を疑心暗鬼にさせてやる。
奥の手というものは、あるかないかではなく、ありそうかどうか、なんだ。
朝の独り言。
映画「プラダを着た悪魔」では、硬派ジャーナリスト志望のヒロインであるアンディが、文芸誌で働くための足がかりとして、超一流ファッション誌の名物編集長のアシスタント職を得ることからはじまる。アンディは安物の服を着ていることになんの恥じらいもないが、周囲は彼女の出で立ちを嘲笑うというよりも、その無神経さに苛立っている。アンディの無知と無恥が、自分たちの業界全体の存在意義をおとしめていると感じるからだ。
モバイル時代となり、我々のコンピューティング体験は縦へのスクロールのみでスワイプのような新しい動きに対応する必要が生じた。また、小さい画面だからといってフォントサイズや画像サイズを変えるユーザーは少なく、あらかじめ最適なサイズ感を制作者が考えて用意しなければならない。
つまり、PC時代にはユーザーがカスタマイズして利用する余地があればよかったが、モバイル時代の現在は制作者側みずからが最適なUI/UXやデザインを提供する必要があるわけだ。
GunosyやSmartNewsなどのキュレーションアプリの台頭をみてもわかるが、モバイル時代ではひと昔前の雑誌の世界と同じく、注意深く取捨選択された編集済みの情報を一方的に受け入れるユーザーが再び増えている。
サイズ感もコンテンツも、最良と感じさせてくれるのであれば、お仕着せのほうがよい。プラダを着た悪魔では「ランウェイ」という雑誌(モデルとなっているのは「Vogue」といわれている)がその役目をはたし、世界中の女性のファッションのビーコンとなるが、ニュースアプリでは関心があるであろうニュースをキュレートするアルゴリズムがその役割をはたす。
なんでも提供してユーザーの選択に任せるという手法はPC時代にはよかったが、モバイル時代になって小さい画面でインターネットを利用する層にはめんどうなだけだ。しかも、クールではない情報やデザインしか提供できないWebサイトやアプリケーションは、すぐに使われなくなる。モバイル時代のユーザーは、自身で環境を良くしようとはせず、良いモノを提供しているサービスを見極めようとするわけだ。クールなものを選ぶ目が進化しているといえよう。
スマートフォンが普及し、モバイル時代のユーザーが急増していることで、優秀なエディターの需要が一気に増えてきている気がしている。そのエディターとは人間である場合もあるし、高度にプログラムされたアルゴリズムである場合もある。
いずれにしても、スマートフォン中心のUIでは、制作者側が最初から最適化したUI/UXやデザインを提供することに意味がある。つまり、制作者側のセンスがますます問われる時代になったのだ。
モノクロで撮るなら曇天がいいね。