写真は若かりしのマーク・アンドリーセンだ。
彼を天才エンジニアもしくは若き起業家として知る人は、最近のスタートアップの経営者にはほとんどいまい。たいていは坊主頭で太った姿と、辛口なコメントで知られるやり手の投資家というイメージだろう。

すべてが順風満帆に見える彼にだって、頭を抱えて苦悩する時期はあったのだ。
ならば僕ら凡人にはトラブルやストレスを人生の伴侶のように扱いながら生きていく、ということしかできまい。

2014年は公私ともに、いろいろと苦労が多かった。途方にくれる、とまではいかなくても、解決できない複数の問題を前に、深くため息をつきたい夜は少なくなかったのだ。

その状況が変わったのは、秋の訪れを感じ始めたときだった。
今年の夏はいきなり終わって秋へと変わったが、それと同じように、僕にとっての風向きも夏の終わりとともに急に好転した。結果として、今年の後半は、来年以降思い切って勝負をかけるための準備期間となったのだ。

そのきっかけは少年の頃からの憧れのバイクを手に入れたことだったかもしれない。
というよりも、不意にやってきたそのバイクを手にいれるチャンスを、一瞬のためらいもなく捕まえて、買うことを決意できたことが風向きを変えたような気がする。欲しいものがあれば、躊躇なく手を伸ばし掴む。シンプルでストレートな想いは少年のそれだ。

その気分が自分にもまだ残っており、しかも、実際に手に入れたバイクに対する偏愛が、時間がたつほどに深く強くなることに、僕は非常に満足した。思い通りに加速する、その感覚を取り戻したのだ。

よく言うことだが、バイクにはバックギアができない。後退できないのだ。
そして、バイクは車のようにハンドルを回して曲がるのではなく、自ら体重を移動してバランスを崩すことで曲がる。そもそもリスクを取らない限り、バイクを走らせることができないのだ。

スタートアップもまた、リスクをとって冒険しなければならない。そうでなければただの凡庸な零細企業だ。
バイク乗りとして、新しい市場を作り出す起業家として、情熱に背中を押されてひたすら前に出る。その姿勢を、改めて僕は取り始めている。目を閉じると、右手は仮想のスロットルをワイドオープンに捻る。どんな問題が起きようが、どんな不確実な未来が待っていようが、一瞬で右手が動き、左足はギアをいれる。その瞬間に気持ちがドライブし、加速し始めるのだ。

2015年は、ワイドオープン。
開けて、開けて、開けて。

何気ない景色でも、構図次第で絵になる。
iPhone6のカメラは、いつでもどこでもそこそこの写真を“作れる”ようにしてくれた。

左側は陰が目立つ。右側の方が明るく見えるだろう。
しかし、実は自ら光を放っているのは左であり、右は強い光を受けて反射しているだけだ。

僕たちスタートアップは、まさしく暗い闇の中で自ら光を発することで世の中を明るくしてみようとする試みを、必死の思いで続けていくことに他ならない。

とは言っても世のため人のためという偽善的な気分を強調するつもりはない。
あくまでも、自分の光で、自分の色で周りを照らし染める。
そういうある種のエゴを根深く湛えた想いなのである。

それは、こうして写真を撮って、本当の景色とは異なる脚色と意味を込めていることに近い、クリエイターとしての矜持なのである。

2014年、穏やかに終わろうとしている。

スタートアップ市場は、リーマンショックを吹っ切ったような好調さの上場ラッシュ。未上場組でも、驚くほどの大きな評価額での大型資金調達に成功するベンチャーが続々と現れている。

2015年にむけて、すべてが上昇機運に満ちているようにみえるじゃないか。

さあ、欲しいものがあるならば、思い切って手を伸ばそう。
遠慮なく、大胆に。

今年が残り少ない、という事実を簡単には認められない自分がかわいい。

リボルバーもだいぶ、会社ぽくなってきたんだ、リアルのね。

いままではクラウドこそわが棲み家みたいなノリがあって、オフィスは便宜上持ってはいたものの(郵便物とか電話とかのためにね)、実際はみな在宅のスーパーリモートだったわけで。物理的にオフィスを構えることに、ちょっと不安もあったんだけど、いざ必要なファシリティを色々揃えてみると、いやこれが居心地がいい。

僕自身、クリエイターでありプロデューサーであると同時に、当たり前ながら社長業もこれまで以上に意識的にやらなければならないという自覚が出てきているね。

自分自身が仕事をしやすいというのはもちろんだけど、他のメンバーが集中して業務をこなし、幸福な自己実現を果たしてもらえるような手配をしていかなければならないと強く思う、オフィスにいると。

それでもね、根性はいつだってアナーキーでパンクだってことは忘れたくない。
memento mori、そういう気分を忘れて「社長」でございます、という顔を浮かべてたら、誰か殴ってくれ。

だからリボルバーには、ところどころにこうしてスカルグッズが隠してあるのさ。

余裕がないのはイヤだが、形相変えるくらい取り組んでこそ、やる価値がある。

リボルバーのオフィスの照明は、蛍光灯と白熱灯が妙な具合に混じっている。
夜になるといい感じに酒でも飲めばいいんじゃない的な、ムーディーなオレンジの光を楽しめる。
とにかくやたらと電灯のスイッチが細かく分かれていて、自由に照明をアレンジできるところが、無駄で好きだw

赤い人が鍵を守っている。
帰るときには、皆が彼に挨拶をして帰るのだ。

赤い人よ、今日もありがとう。

今日は夜まで外出をせずに、沈思黙考をする日。
他のメンバーも黙々とMacに向かって作業中。

リボルバーのマスコットである?アイアンマンがZIIに跨りながら僕たちを鼓舞してくれている。

http://46works.net

46works.net。

BMW中心なのかな?モーターサイクルのチューニングブランドらしい。

半端なくかっこいい!

昨夜パートナー会社との忘年会というか会食で、好きで選んだはずのモノやヒトに、時間置いてみるとなんか違うと感じてしまったときの、苛立ちというか困惑というかやるせなさといった気分について、しばらく話の花が咲いた。

このときの対象はクルマのことだったのだが、冒頭に書いたように、いろいろなモノ、場合によっては恋の相手や、当然仕事のパートナー(笑)についても言えることだろう。

昨夜の話では、しばらく乗ってはみたものの、疎遠になり、エンジンをかけることさえ稀になった挙句に、結局手放して別のクルマを買い直した、という実に"男らしいw"選択に落ち着いたというオチだったが、実際には逡巡の期間はたいてい長く、「なんか違った感」にさいなまれながら、無駄に時間だけが過ぎていくことが多いだろう。

なぜかというと、これまで使った時間やお金といった費用、すなわちサンクコストを惜しんでしまったり、新しいモノや相手を探し選ぶためのスイッチングコストを考えてしまうからだ。

それでも、なんか違った感に心削られていく時間は、自分にとっても相手にとっても不幸だ。

人生は長くないから、「やはりコレだよ!感」を与えてくれる対象を選び直すことが大事だろう。同時にそれは相手にも、別のよい相手を探すチャンスをわたすことなのだ。仮にそれがクルマのような無機質な機械であっても、やはり愛してくれる相手にめぐり合わなければこの世に存在する意義を見出せないというものである。

http://japan.cnet.com/news/service/35057764/

プラグインハイブリッド「BMW i8」。

電気モーターで前輪を動かし、3気筒1.5リッターエンジンで後輪を駆動させるという。

やっぱりかなりカッコいい。

http://m.jp.techcrunch.com/2014/12/11/20141210not-a-fad/?icid=tc_home_art&

ヴィジュアルウェブの勢いは当分止まらないな。

Vineをパクったことで短尺のループ動画の分野でもインスタは強い。

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